こんにちは。9年間日本の公立の学校で教師を勤めてきた萩原達也といいます。今日から少しずつこのホームページを更新し、ゆくゆくは自分の思い描くページにブラッシュアップしていきたいと思っています。よろしくお願いします。

今、私が思うこと

 私は9年間、静岡県の公立教師として勤めてきました。自分が12歳の頃から思い描いていた夢。新卒採用での小学校教師生活。不安もたくさんありましたが、全てが新鮮で、大好きで仕方ない子どもたちに囲まれ、本当に幸せな毎日を送ることができました。そしてそれは今でも変わりません。自分の趣味、特技、強み、経験。それら全てを生かすことができる職業がこの仕事以外にあるでしょうか? 自分は教師になることを目標に、幼い頃から自分の行動を選択してきました。私を形づくってきた数々の経験が、自分の自信となり、子どもや保護者、職場の先生方との信頼関係につながっていることを、今まさに実感しています。私はこの仕事をするために生まれてきた人間なんだとすら思っています。だからこそ、教師になって思い描くようになった、さらなる夢を実現すること、何年かかってでも、自らの手で理想の教育ができる学校をつくることを決意しました。

日本の公立学校教育に対して生まれた疑問

 教員を始めて数年が経った頃、中3のあるクラスで数学の授業をしていた時のことです。私はいつものように黒板の前に立ち、30人近くいる子どもたちの前で問題の解説をしていました。その時、ある子が私にそっと声をかけてきました。「先生、今日の内容はもう理解できているので、受験に向けて必要な勉強をしていてもいいですか?」と。当時の私は頭が固く、反射的に「気持ちは分かるけど、きっと新しい発見もあるから、最後まで先生の話をきいて。」と答えてしまいました。その生徒は「そうですよね…分かりました。」と言ってその1時間、暇そうにしていました。

 この出来事をきっかけに、私はなんとなく、公立の教育の在り方に違和感を覚えるようになりました。全員が同じ教室で、同じ内容を、同じペースで学ぶのは、本来あるべき姿なのかと考えるようになりました。教師が教壇に立ち、多くの子がその話をうんうんとうなづきながら聞く。しかし一方で、内容が簡単すぎて暇そうにしている子どもや、学習の積み重ねがなく、先生が何を言っているのかさっぱりな子どもも同じ空間に存在している。もちろん、学校もそこに問題意識は抱えており、教科に応じて学力別にグループを分けて指導をしたり、得意な子が暇にならないような支援や、苦手な子について指導をする学校支援員を配置するなど策を講じてはいるのですが…。(とは言ってもまるで人員が足りていませんが…。)

 それから公立の学校教育について考える時間が増えていきました。子どもたちは住んでいる地域に縛られて学校をほとんど選べないこと。学びたい先生を選べないこと。年齢で学年を区切っているために、学力差が激しい子が同じクラスで学んでいること…等。授業が簡単すぎて暇そうな子どもや、その授業が難しくて苦痛な子どもにとって、その時間はどこまで意味のある時間なのでしょうか。その時間をもっと自由に、もっと自分の学びたいことに使えるとしたら…。本来あるべき教育とは、その子一人一人に合った学び方やスピードで学ぶことなのではないかとぼんやり思うようになりました。

長年の疑問が確信へ変わった瞬間

 そうは言っても、理想は理想。公立は公立。私の持つ考えはしょせん、机上の空論でしかありませんでした。日々、自分の疑問を押し殺しながら、紙と鉛筆、黒板とチョークを使って日々の授業を行っていました。そんな時にやってきたのが『新型コロナウイルス』です。世界を震撼させたこのウイルスは、世界各国の様々な問題点を露呈させました。日本も例外ではありません。学校で言えば、それは本当に必要な会議なのか、わざわざ全員が一同に介する必要がある行事なのか、はたまたその仕事は本当に教員がやらなければならない業務なのか…等。数多くの人命が奪われたことは本当に悲しく残念なことですが、その一方で今まで当たり前だったことを再考するきっかけを与えてくれたことも事実です。

 コロナにより、子どもたちは長期の休校を余儀なくされました。保護者もその対応に追われ、教員は『子どもたちの学びを止めるな』というスローガンのもと、大量のプリントづくりに奔走しました。自治体によっては教員が動画を作ってアップしろというところもあったようです。戦う場所を間違えているなと思いました。プリントづくりのプロでもない私たち教員が作る質の低いプリントや動画を一方的に与えられる子どもたち。この教育にどれほどの効果があったのでしょう。

 世界ではオンラインでの教育が当たり前になりつつある中、環境整備もままならずアナログな対応しかできなかった当時の日本。私は地方でもICTを用いてできることがあるはずだと声をあげ、行動を起こしました。しかし、『足並みをそろえましょう』『オンライン授業は整備が整うのを待ってから』『公教育の性質上仕方ない』と周囲に諭され、結局何も実現することができずに終わりました。学びたい子、困っている保護者がすぐ目の前にいて、自分にはそれを解決できるだけのスキルと知識があるのに、学校や教育委員会の大人の都合と『公教育の性質』という便利で保守的な言葉の前に、自分の小ささを知りました。その時に心に決めました。この狭い社会で生きるのではなく、もっと広い世界に飛び出して、もっと自由に、子どもたちがいきいきと学べる場を作ってあげようと。